ノモンハン戦争の平原(1993年7月)内蒙古自治区

 1993年7月15日から3日間、中国内蒙古自治区フルンベル盟のノモンハン村を、牧畜民の生活文化を調べるために訪れた。

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ハルハ河を背にする筆者

 ノモンハンの平原では、私が生まれる前の1939(昭和14)年5月から9月にかけて多くの犠牲を出したノモンハン戦争(事件)と呼ばれる地域戦争があった。当時の満州国モンゴル人民共和国との国境であったハルハ河畔で繰り広げられたこの戦争は、満州・日本軍とモンゴル・ソ連軍との大規模な国境戦争であった。

 一説によると、僅か1000平方キロメートルほどの範囲で、4カ月足らずの間に双方5万もの将兵が死傷したと言われているが、その詳細は今も明らかにされていない。

 村から8キロ西の国境沿いの平原にある窪地タブンモト・オロン(5本の木)は、激戦地の1つであり、1万数千体の日本人将兵が荼毘に伏された所で、1993年6月まで外国人の立ち入りが禁じられていた。南北400メートル、東西150メートルほどのこの窪地は、半世紀を経た現在、砂地に柳の灌木が生えているだけである。しかし、地面を掘れば、焼け残った松の木や黒こげの砂に混じって、錆びた鉄かぶとや缶、防毒マスク、将兵の所持品、白骨片などが無数に出てくる。

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ノモンハンの大地に残留する遺留品の数々

 1992年、村にオープンした「ノモンハン戦争記念館」には、旧日本軍の砲弾、銃、防毒マスク、鉄かぶと、軍刀、缶詰類などや、将兵が携えていた万年筆、眼鏡、お守り、本などの遺留品が沢山収められている。それらの大半が、この窪地で掘り出されたものである。

 牧畜民モンゴル族発祥の地であるノモンハン地方は、川と湖に恵まれた草原で、起伏の少ない大平原である。その平原を歩いてみたが、どちらを向いても同じで、広すぎて目標が立たず不安を覚えた。見限ることのできない物理的広さは、心理的狭さなのである。

 360度見渡せる平原では、我々日本人は精神的安定感を失い、異常心理に陥りやすくなる。ノモンハン戦争では、平原のわずかな窪地に死体が重なり合い、5、60メートルの至近距離の稜線からお互いに機関銃を撃ち合って死骸の山となっていた所があったと、現場を目撃した牧畜民から聞かされた。彼はまた、平原に生きるモンゴル族の牧畜民は、こんな戦い方は決してしないとも言った。

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誰が積み上げたのか、鉄兜を置いた墓標