地球へめぐり紀行本編

チャカサン族の祭りと農作業(1979年1月)ナガランド

1979(昭和54)年1月27日、コヒマから東に車で約3時間、チャカサン族のチザミ村を訪れた。そして、長老の一人ウエロルさんの家に泊めてもらった。村は道から上の大きな尾根にあり、平地が多く、350軒、1,500人の村人がいて、長老が3人い…

ナガの若水汲み(1993年12月)ナガランド

若水は、古代においては立春の日に宮中の主人司(もりとりのつかさ)から、天皇に奉った水であったが、のちには、縁起を祝って元日の朝に初めて汲む水のことで、1年の邪気を除くとされている。 日本の若水汲みと同じ風習がインド東北部のナガランド州、アン…

コヒマ旧交の旅(2019年6月)ナガランド

6月23日、インパールのホテルでの昼食後、我々5人は、2台の車に分乗して、午後12時50分、約140キロ北のナガランド州都であるコヒマに向かった。 人口約200万人(40年前は約100万人)にも膨れ上がっているナガランド州は山岳地帯で、山また山…

インパールの慰霊訪問(2019年6月)マニプール州

インド東北部のミャンマーと国境を接しているマニプール州は、人口270万人の多民族地域。その10分の1の26万人が州都インパールに居住している。 今から75年前の1944年3月、当時ビルマ(現ミャンマー)に駐留していた旧日本軍は、ビルマ防衛と…

ミャンマー西北部の町プーターオ(2017年11月)

2017年11月24日から、ミャンマー北部の民族踏査に訪れ、中央部のマンダレーから北のミッチーナに飛んだ。カチン州都のミッチーナから更に北西へ約200キロ離れた、インドとの国境の町プーターオへは、山また山の悪路で、外国人が陸路で行くことは…

カチン州の踊る祭典”マナウ”(2015年1月)

ミャンマー北端のカチン州には沢山の部族が住んでいる。カチンは、英国植民地時代につけられた名称で、今はミャンマー語になっているが、カチン州の人々は自分たちをカチンと呼ばず、それぞれの部族名、例えば、ジンポー・タイ.リスー・ロワン・アジン・ト…

ビルマ族の古都シュエボ(2017年7月)

ビルマ族発祥の地でもあるシュエボは、ミャンマー第2の都市マンダレーから113キロ北にある平原の中の町だが、1752年にビルマ族の英雄アラウンパヤー王によって建設された古都である。以前は、モクソボと呼ばれる小さな町であったがそうだが、王は、…

ラオスの古都ルアンパパーン(2015年12月)

2015(平成27)年12月23日の朝、ベトナムのディエン・ビエン・フーからプライベートバスに乗り、17時間30分後の24日早朝にラオスのルアン・パバーンに着いた。町の中心街にある“マイラオハウス・ボタニクホテル”は、庭に草木があり、2階建…

ベトナム西北部の町サパ(2014年12月)

ベトナムの中心民族はキン族と呼ばれる人々だが、その他にもモン(ベトナム語ではムオン)、ザオ、タイなどたくさんの民族がいる。 私は40年近くもアジアの少数民族を踏査しているので、ベトナム北西部の少数民族が沢山住んでいるといわれるサパの町を訪ね…

南端の町・瑞麗(2018年4月)雲南省

標高2500メートルもある麗江から約700キロも離れた、標高900メートルの雲南省西南端の町瑞麗へ。大理経由で保山に1泊し、バスを乗り継いで2008年4月13日午後1時30分に、人口17万人の町瑞麗のバスセンターに着いた。そこからタクシーに…

大里と麗江の町(2018年4月)雲南省

1.大里 昆明からバスに乗り、400キロほど西にある人口61万の大里に着いた。標高1900メートルの地にあり、標高4,000メートルの峰が連なる蒼山と水の澄んだ洱海による風光明媚な所で、古くから中国とインドを結ぶ交易路の要衝でもあった。 大…

昆明の民族村(2018年4月)雲南省

2018年の4月8日、成田から中国の上海経由で雲南省都の昆明に飛んだ。中国訪問は、第1回の1975年以来、今回で丁度80回目。昆明は1980年4月と82年4月の2回訪れているので、36年ぶり3度目の訪問であった。 標高1900メートルにある…

苗族の新嘗祭(1990年8月)貴州省項翁寨

日本列島への稲作農業の主な渡来は、紀元前3~4世紀頃か、それ以前とされているが、これは、中国大陸の江南地方(長江南の下流域)の越系民族であった呉・越・楚が滅び、漢民族が西から侵入してきた時代である。 その後の越系民族は、漢民族に追われたり、…

海南島の生老百年碑(1983年1月)

1983(昭和58)年1月に中国の海南島を訪れた。首府海口市に”五公祠”と呼ばれる有名な祠堂がある。北宋時代の1097年に建立されたもので、宋時代の有名な詩人、蘇弑糾・蘇轍兄弟と昭忠、邱淑、そして、海瑞の五人の霊がここに祭られている。この敷…

賀蘭山の岩画(1988年9月)寧夏省回族自治区

1988(昭和63)年9月、中国の寧夏回族自治区を10年ぶりに訪れた。区都銀川の西側を南北200キロにわたる賀蘭山中に沢山の古い“岩画(岩壁絵画)”があることが知られている。日本では一般的に“顔面画”と呼ばれているようだが、中国では“岩画”と表…

3泊4日の三峡下り(1997年8月) 重慶・武漢

1997(平成9)年8月30日、北京から重慶に飛んだ。中国大陸の鍋底と呼ばれる四川盆地の東南にある重慶はなんと摂氏43度もあった。 ダムに水没する前の川沿いの重慶市内 翌31日の午前9時、4,500トンのビクトリアⅢ号に乗船。乗員108名。我…

成都の漢方市場(1986年9月)四川省成都

漢方薬の本場ともいわれる四川省の成都を1986年9月初めに訪れた。少数民族の村を訪ねるためだったが、洪水で道が決壊して行けなかったので、漢方薬の取材をすることにした。しかし、「漢方薬は国家機密」などと、中国国際旅行社は非協力的だった。特に…

天の川を渡る船棺(1997年10月)福建省武夷山

中国の江南地方には、古くから川沿いの懸崖(人が登ることのできない絶壁)の高い所に、棺が安置されていることは良く知られていた。 懸崖の棺は、一般的に懸棺と呼ばれ、その場所は崖墓と呼ばれていた。棺は楠木の大木を彫って舟型に作られていたので船棺と…

板門店の南と北(1987年)韓国・北朝鮮

朝鮮半島を南と北に分断している38度線にある板門店を、1987(昭和62)年9月と10月に南と北から眺めた。 ①1987年9月(韓国側) 私は、すでに韓国を4度訪れていたが、板門店を見るために再びソウルを訪れた。そして、大韓旅行社の”板門店ツ…

ノモンハン戦争の平原(1993年7月)内蒙古自治区

1993年7月15日から3日間、中国内蒙古自治区フルンベル盟のノモンハン村を、牧畜民の生活文化を調べるために訪れた。 ハルハ河を背にする筆者 ノモンハンの平原では、私が生まれる前の1939(昭和14)年5月から9月にかけて多くの犠牲を出した…

空気が白濁するハルビン(2006年1月)黒竜江省

2006年1月14日(土)、午前8時すぎの北京空港は濃霧に包まれ、飛行機の発着ができず、7時間も遅れてやっと午後2時35分に離陸し、1,444㌔北のハルピンには、3時50分に着いた。空は晴れ、外気は零下16度だが、大地に雪はなかった。 世界…

サハリン(2017年9月)

私は、2017年9月に、英国籍の大型豪華客船のダイヤモンド・プリンセス号で、横浜港から北海道経由で、ロシア領のサハリン州を訪ねた。南部の海の玄関口・コルサコフには、9月22日の早朝に着いた。 船から見るコルサコフ港 コルサコフは、元はアイヌ人が暮ら…

はじめに

インドのナガランド州コヒマにて(1979年) 私は旅行作家・民族研究家として1964年以来、50年以上かけて世界142ヶ国を探訪しました。特にアジア大陸の諸民族とは生活を共にしながら民族踏査をしました。「写真で見るアジアの少数民族」(三和書籍)全5刊の他…