地球へめぐり紀行

新制中国の望郷編

内蒙古からチベット7000キロの旅

内蒙古からチベット7000キロの旅⑪ ナダムの競馬

人口1万のウラード中旗の町では、今日から草原の民、蒙古族の祭りであるナダムが始まった。ナダムは“遊び”という蒙古語で、人びとか集い、すもうや競馬をし、市場か立ち、飲み、食い、歌い、楽しく踊る年1度の行事なのである。そのせいで、近在から多くの…

内蒙古からチベット7000キロの旅➉ ラクダに乗って

8月19日の早朝、招待所の庭から眺めると、パインハテは広い平原の中にあるが、かなたの四方に山があった。やはり山のある風景はやすらぎを覚える。山は大地に変化をもたらす絶対的な存在で、自然の豊かさや神秘、活力などを象徴しているようにすら感じら…

内蒙古からチベット7000キロの旅⑨ ラクダ飼いの失敗

蒙古語のパインオボは、“豊かな山”とでもいう意味であるが、漢名では“白雲オボ”である。この町は、近くの山で鉄鉱石か発見されてから急に発展し、今では人口3万もの漢人の町である。鉱石を南の包頭の町へ運ぶために線路がある。天然ガスも発見され、包頭ま…

内蒙古からチベット7000キロの旅⑧ 平原の迷路

草原の民である蒙古族の多くの僧が、ラマ教の聖地であるチベットの首都ラサヘ巡礼の旅をした。私たちも、巡礼者に混じって西川さんが通ったであろう道を通って、これからラサに向かって長い自動車旅行に出発する。 このあたりの中心地であったオングル廟から…

内蒙古からチベット7000キロの旅⑦ 川に入った車

翌8月16日、3日間暮らしたオルンノールから昼前にオングル村に戻った。そして、バートル村長にお別れのあいさつをし、文革以前には草原の中にあったというサッチン廟を訪れるため、正午前に出発した。しかし、思うようには進まなかった。 平原の中のオル…

内蒙古からチベット7000キロの旅⑥ 馬飼いの青年たち

オルンノールから20キロほど北のウータ(門)というところにいた、馬飼いのトルムトシンさん(30歳)兄弟に出会い、相談したところ、なんと、7家族の馬300頭を集めてくれた。 ウータの平原にある井戸で、家畜に飲ませる水をくみ上げる人 馬を追う牧童た…

内蒙古からチベット7000キロの旅⑤ 牧畜民の生活

オルンノールの草原には、ポツン、ポツンと一定の距離をおいて移動式住居である白いゲルが20張りほど点在している。その中の1張りに住む、羊飼いのソミヤさん(37歳)一家を訪れた。バートル村長が頼んでくれたので、私たちは、彼のゲルの近くにテント…

内蒙古からチベット7000キロの旅④ ニラの花咲く草原

私たちは、バートル村長の案内で牧畜民の住む草原を訪れることにした。ホンゴル村から東北に向かって十分も走ると、緑なす大草原である。まさしく蒙古の草原で、見渡す限り山はない。しかし、ゆるやかな起伏はある。車で走っていると、やや小高い丘に、石を…

内蒙古からチベット7000キロの旅③ 蒙古草原の村

翌13日はさらに北へ向かった。王府をすぎると平原の道は轍になった。川のあまりない平原の低地はぬかるんでいるところがあり、時々車輪がスリップして、走行は思うようにはいかなかった。車は日本製の四輪駆動であるが、中国科学院所属の科学査察車で、屋…

内蒙古からチベット7000キロの旅② 日中合同の西域探検隊の出発

私たちが、1988年の春に香港資本との合併で建設されたばかりの、昭君大酒店というモダンなホテルで休憩していると、北京から3台のランドクルーザーがやって来て合流した。 TBSテレビの「新世界紀行」のリポーターとして、中国の内蒙古からチベットま…

内蒙古からチベット7000キロの旅① 万里の長城を越えて

当時の北京駅 北京を汽車でたったのは1988年8月11日の午後6時53分だった。夕闇せまる平地を北に向かうと、やがて岩山がそびえる山岳地帯に入った。車窓の外には、暮色蒼然として迫る八達嶺の尾根を走る長城がつづく。青龍橋の駅近くの線路ぞいに、…

内蒙古からチベット7000キロの旅 序章

はじめに 1988(昭和63)年6月、TBSテレビの「新世界紀行」の番組として行なう、日中合同の西域探検の旅のリポーター役として、2ヶ月間の旅に出ないかとの誘いがあった。しかも私が行きたかった未踏査の内蒙古からチベットまでの、チベット仏教であ…