中国
9月14日の朝、不凍泉を出ると、道は南西へむかった。やがてチュマル平原に出た。北には崑崙山脈が東西に続き、南には崑崙山脈の支脈であるククシリ山脈がある。道沿いには、チルーが草をはみ、小さな穴から草ねずみか顔を出している。このねずみを狙うチ…
小雨降るゴルム市を9月12日午前11時に出発し、南へむかった。道は上りになっており、やがて氷雨になった。午後1時すぎには雪になった。標高3,180メートルの地点で、東から西へ流れる赤褐色のシキンゴール川と、西から東へ流れる灰緑色のナイジゴ…
ツァイダム盆地は乾燥が激しく砂漠化しているが、土壌の性質は単純ではない。砂漠、土漠、礫漠、それに低木の生えたところもある。風か強いせいで地面は土や砂がなく、小さな礫が塩で固まった平原もある。都蘭からすでに2日間走っているのだが、南に山脈、…
9月8日の夕方、パンテンシャンという村につき、かつてチベットのパンテン・ラマの公館であったラマ教寺院の庭にテントを張った。この寺院のそばの土の家に、もと僧であった66歳の蒙古人がいた。彼は、1959年に侵入してきた解放軍に追われて、この寺…
ドジヤさんたちに別れを告げ、午前9時半に茶卡(ツアカ)に向かって出発した。黒馬河平原の東方に見える山頂にはうっすらと雪があった。まだ9月7日なのだが、山頂はすでに初雪である。青海湖を見下ろしながら、大きな岩山の道を上る。峠に「橡皮山、3,…
9月5日の午後、青海湖南岸の黒馬河(こくばがわ)村まできた。この村の南西の一部が平原になっており、多くの牧民たちが黒テント“バー”で生活している。私たちは、牧民であるドジャさん(74歳)一家を訪ね、2泊3日の許可を得、生活を共にすることにし…
9月5日の朝、旅行社の招待所から西へ向かった。半島のように突き出たところを横切って江西鎮(こうせいちん)という漢族の村に着いた。1983年以前には人民公社があり、活気づいていたそうだが、今はさびれていた。 青海湖岸の道沿いにできた高さ1,5メ…
西寧を午後4時に出発し、100キロ西の青侮湖へむかった。1時間ほどで湟原の町に着いた。道はここから南へ折れた。道沿いに漢族やチベット族、土族などの村がぽつり、ぽつりと点在し、麦やエンドウ豆などの収穫期であった。道沿いの岩山に石を積み上げた…
西寧から西南方向へ33キロの湟中県(こうちゅうけん)にあるタール寺までの道は舗装されていた。標高2,500メートルにあるタール寺は、ラマ教黄帽派を創立したツオン・カパの出生地である。彼の後継者たちはダライ・ラマとして尊崇され、黄帽派はチベ…
西寧市には、北、西、南の3方向から川が流れこみ、西寧河となって東へ流れている。町の北にある北山に“北禅寺”と呼ばれる道教の古い寺がある。道教では、寺を“道観”僧を“道士”、尼を“女冠”と呼ぶ。 北山の絶壁にある道教の北禅寺 北禅寺に登る建設中の階段 …
北の甘粛省、南のチベット、そして東の四川省、西の新彊ウイグル自冶区に囲まれた高原地帯の青海省は、高原大陸性の気候に属するので、気温が低く、昼夜の温度差か大きい。そして、「年に四季の区別がなく、1日にも四季の変化が見られる」という特徴がある…
裟家営から暴泰に戻り、そこから南の蘭州へ向かう。道は舗装されていたので、時速80キロで走った。 蘭州の友誼賓館についたのは、夜の10時過ぎだった。蘭州はシルクロード沿いの町で、有名な河西回廊の入口にあり、黄河の渡し場でもあったので、古くから…
裴家営の村で、漢民族の葬儀を見た。土壁に囲まれた家に親族や知人、村人が集まっていた。 「悲しいが、85歳の長寿をまっとうしたので、喜んで冥土へ送ってやりたい」 家人たちの同意を得て撮影が許された。 葬儀のあった家 夫を数年前に亡くしていた老婦…
8月28日、今日は400キロ以上も南西に走り、甘粛省の省都蘭州まで行く予定なので、朝8時半、砂披頭の山荘を出発した。 裴家営近くの山 道は未舗装のガタゴト道で、しばらく線路沿いに走った。51キロ離れた省境の村、甘塘(かんとう)につくと、甘粛…
砂坡頭(さばとう)の山荘は、嗚き砂で知られた砂山のふもとの、黄河がたいへん狭くなって、川幅150メートルくらいの岸辺にあった。山荘から見上けると、百数十メートルも上に鉄道の駅がある。観光客たちは、嗚き砂の斜面を駅からすべり下りる。以前は、…
8月25日、日中は熱いので午後4時、銀川から黄河沿いに川上へ向かう。町を離れると緑は川沿いにしかなく、すべて褐色の荒野である。道は、1週間前に開通したばかりの高速道路が100キロ続いていた。かげろうがゆらめき、逃げ水の見える道を高速で走る…
アラシャンからテングリ砂漠を横断して西南へむかう予定であったが、道が砂に埋まって通れないので、南の銀川にむかった。道はオーラン山脈の南端をつっ切っていた。木の生えていない岩山の中を走り、峠を越して下る。両側に、石を積み上げた壁や見張り台、…
アラシャンの延福寺 延福寺の本堂 アラシャンの招待所に1泊し、オーラン山中にあるといわれる、西川さんが訪ねていた、内蒙古で最も大きかったバ口ン廟(中国語では廣宗寺)を訪ねることにした。文革で破壊されたとされていたが、その後の情報かまったくつ…
8月23日の朝、招待所の庭に出ると、ボタ山が3つあった。それが塩の山であることに気づくには、灰色であったがゆえに、しばらく時間を要した。 一面の塩 ジランタイ塩湖 ジランタイには中国最大の国営採塩場かある。その現場を工場の係員に案内してもらっ…
今回の旅の難儀はガソリンの確保である。予定では、特別チケットで、軍の施設でもどこでも給油してもらえることになっていた。2日に1回は給油するのだが、ガソリンがなかったり機械が故障していたり、係員がいなかったり、本道から50キロも100キロも…
人口1万のウラード中旗の町では、今日から草原の民、蒙古族の祭りであるナダムが始まった。ナダムは“遊び”という蒙古語で、人びとか集い、すもうや競馬をし、市場か立ち、飲み、食い、歌い、楽しく踊る年1度の行事なのである。そのせいで、近在から多くの…
8月19日の早朝、招待所の庭から眺めると、パインハテは広い平原の中にあるが、かなたの四方に山があった。やはり山のある風景はやすらぎを覚える。山は大地に変化をもたらす絶対的な存在で、自然の豊かさや神秘、活力などを象徴しているようにすら感じら…
蒙古語のパインオボは、“豊かな山”とでもいう意味であるが、漢名では“白雲オボ”である。この町は、近くの山で鉄鉱石か発見されてから急に発展し、今では人口3万もの漢人の町である。鉱石を南の包頭の町へ運ぶために線路がある。天然ガスも発見され、包頭ま…
草原の民である蒙古族の多くの僧が、ラマ教の聖地であるチベットの首都ラサヘ巡礼の旅をした。私たちも、巡礼者に混じって西川さんが通ったであろう道を通って、これからラサに向かって長い自動車旅行に出発する。 このあたりの中心地であったオングル廟から…
翌8月16日、3日間暮らしたオルンノールから昼前にオングル村に戻った。そして、バートル村長にお別れのあいさつをし、文革以前には草原の中にあったというサッチン廟を訪れるため、正午前に出発した。しかし、思うようには進まなかった。 平原の中のオル…
オルンノールから20キロほど北のウータ(門)というところにいた、馬飼いのトルムトシンさん(30歳)兄弟に出会い、相談したところ、なんと、7家族の馬300頭を集めてくれた。 ウータの平原にある井戸で、家畜に飲ませる水をくみ上げる人 馬を追う牧童た…
オルンノールの草原には、ポツン、ポツンと一定の距離をおいて移動式住居である白いゲルが20張りほど点在している。その中の1張りに住む、羊飼いのソミヤさん(37歳)一家を訪れた。バートル村長が頼んでくれたので、私たちは、彼のゲルの近くにテント…
私たちは、バートル村長の案内で牧畜民の住む草原を訪れることにした。ホンゴル村から東北に向かって十分も走ると、緑なす大草原である。まさしく蒙古の草原で、見渡す限り山はない。しかし、ゆるやかな起伏はある。車で走っていると、やや小高い丘に、石を…
翌13日はさらに北へ向かった。王府をすぎると平原の道は轍になった。川のあまりない平原の低地はぬかるんでいるところがあり、時々車輪がスリップして、走行は思うようにはいかなかった。車は日本製の四輪駆動であるが、中国科学院所属の科学査察車で、屋…
私たちが、1988年の春に香港資本との合併で建設されたばかりの、昭君大酒店というモダンなホテルで休憩していると、北京から3台のランドクルーザーがやって来て合流した。 TBSテレビの「新世界紀行」のリポーターとして、中国の内蒙古からチベットま…